総社高校昭和45年卒掲示板 204905


大河ドラマがより面白くなる(第12回)「思いの果て」

1:しんちゃん :

2024/03/29 (Fri) 17:48:26

https://bbs7.fc2.com//bbs/img/_825500/825433/full/825433_1711702107.jpg  みなさん こんにちは。ハンドボール、残念でした。YouTubeを見ましたが、GKに顔面保護マスクは必要ないのかな?「動画時代!」は1試合1時間30分の動画をアップしている。選手は後でレビューできるのでいいが、私のPCでは容量オーバーになる。YouTubeは大きなサーバを持っているものです。
 ところで、大河ドラマですが「(2人の)思いの果て」でした。果ては、別れるということ。 

○ 道長の結婚
 道長は左大臣家に婿入りすることを決断。左大臣・源雅信は宇多天皇の孫であり、道長が婿入りと逆玉の輿に乗ることになる。倫子の母・穆子は道長との結婚を勧めた。
 道長、土御門邸を訪れ、倫子の寝室に入る。倫子、いきなり抱きつく。道長、強く抱きしめ返した。
 道長は下郎、下郎が許されていた時代だった。男性が女性の家に3夜連続で通うと結婚が成立し、その後、妻方で所顕(ところあらわし)を行う。987年、道長・倫子結婚。

○ 明子との結婚
 988年、明子と結婚(ドラマでは同時期に進行、倫子より先説あり)明子は醍醐天皇の孫。父・高明は、左大臣として権勢をふるったが安和2年(969)藤原氏の陰謀により失脚、左遷される。詮子は、明子を道長と結婚させることで、高明の怨念を鎮魂させようとした。にもかかわらず、明子は兼家への恨みを晴らそうとする。
 なお、明子(高松殿)は美人だったらしい。「薄幸の美人」といわれている。明子は父の兄弟盛明親王に育てられていたが、親王が亡くなると、道長の姉で一条天皇の母である皇太后詮子(あきこ)に引き取られ、養われていた。詮子は明子を手が早い兄の道隆や道兼には紹介しなかったが、2人も狙っていた。明子は道長の妻ではあるが、所顕はしていない。実資の日記『小右記』には、倫子のことは「北方」と記されるのに、明子は「妾妻」と書かれたり、邸宅の「高松殿」との呼称しかない。

○ まひろと実資(さねすけ)の縁談話
 宣孝は、まひろに婿として実資を勧めた。実資は、今は無職だが、花山天皇のとき、3人は同じ職場だった(蔵人頭は実資)。実資の最初の妻(「日記に書きなさい」といっていた女性。演・中島亜梨沙)は既に亡くなっていた。宣孝は文を持って実資を訪ねたが、赤痢にかかっている実資を見て、
「あれはダメだ。もう半分死んでおる。別を探そう。」
 なお、まひろが宮仕するようになってから、2人は互いに尊敬し合う間となる。

○ 次回、第13回「進むべき道」は道長と倫子の結婚から3年後の990年に移る。
道長のもう一人の妻・明子は父の怨念を晴らすことができるのか?
2:せっちん:

2024/03/30 (Sat) 18:28:21

ドラマよりさらにさらに面白い、しんちゃんさんの解説に引きずり込まれます。まひろとはあっさりお別れ~の逆玉婚。そして、また第二の女性とも。なんということだ。心はまひろ、とはよく言うわ。別れて正解。父の怨念、さあどうなってしまうのかーーーー。念は恐いわよ、道長。次、待ち遠しい~~~

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